2018 • Interview • Emiko Yoshida (3)

2018入賞者インタビュー(2)
吉田恵美子さん

地域のいろんな課題が見えてきたとき、
一つひとつ拾いあげては、 どうにかしたいという思いで
愚直に向き合ってきたこと

 

吉田恵美子(よしだえみこ)さん
認定特定非営利活動法人 ザ・ピープル理事長
いわきおてんとSUN 企業組合 代表理事

福島で20年以上古着リサイクルや障害者支援に携わってきました。震災後は地区の ボランティアセンター長として被災者支援の中核を担いますが、その中で見えてき た地域課題に向き合うため「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」に着手 します。放射能汚染や風評被害による耕作放棄地の拡大を食い止めようと始まった プロジェクトは、地域住民や農業者、原発避難者、地域外からのボランティア、行 政などを巻き込み、コミュニティの再生を目指すものです。

Q. 活動のきっかけを教えてください。

1990年に地域で住民主体のまちを作りたいと仲間たちとボランタリーな組織を立ち上げました。それが今のザ・ピープルの前身です。循環型の社会を作るため年間260トンの古着を回収してもう一度資源として戻す仕組みづくりをしてきました。

その中で古着が緊急時の救援物資として役立つという気付きがあり、非営利活動の一つとして災害救援を行っていました。そんな時に東日本大震災が起きて、原発事故の影響も大きい被災地で、手元にあった古着を被災者、避難者への救援物資としました。

避難所の炊き出しをしていて、原発事故の影響による先行きの不安から農業を諦めかけている農業者の方たちに出会いました。それから2か月ほどその方たちが栽培した野菜を買い上げ、避難所に届けて、自炊用の食材の一部として使ってもらいました。

その時に津波などの直接の被災がなかった農業者でも、生業を奪われかねない被災者なのだという意識が生まれたんですね。そこから営利でなく市民活動的に食用ではなく繊維になる作物であるオーガニックコットンを栽培し農業の再生を進めようと思いたちました。それが今も続いている「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」です。

その反面、コットンの栽培から製品化までを非営利で事業化するのは厳しいので、営利事業ができる組織として「いわきおてんとSUN企業組合」を仲間と立ち上げました。市民活動としてのコットン栽培と、製品化という営利事業の二つを車の両輪のような形で行っています。

Q. 活動を通してどのような社会課題に取り組んでいらっしゃるのでしょう?

震災前は、大量生産大量消費の社会のあり方を自分たちの手でなんとかしたくて古着のリサイクル活動を行っていました。その活動が震災後意図せずに繋がって、私たちにとってはある意味財産となりました。

それとは別に、震災後にはそれまでとまったく違う社会課題が生まれました。例えば、原発事故の影響による農業の疲弊、自然災害の被災者と原発事故という人為的災害の被災者とが断絶しているコミュニティ、原発事故に起因する風評被害など、さまざまな課題が噴出したんです。

その課題に対して、そんな大層なことはできないけれど、現場を見て一つひとつ自分たちの力でできる部分をクリアしていきたいと活動を重ねてきたつもりです。今も「地域の住民が自分たちの手でどうやって地域や社会を作り上げていくか」に取り組み続けています。

Q. オーガニックコットン事業に参加しているのはどんな方ですか?

ローカルな農業者や地域の方々がボランタリーに関わってくれています。被災した方や避難してきた方、地域の外からわざわざコットンの栽培をしたいとお手伝いにきてくださる方もいます。今までのべ25,000人がいろいろな立場から関わってくださいました。

課題を抱えたコミュニティがその課題を払拭するには、多様な人たちが共同の作業を通して交流を深めていく必要があると思っています。そういう意味で私はコットン栽培がすごく力のある場になったのではないかと思います。

Q. 多様な人の参加を促す仕組みについて教えてください。

コットン栽培や古着事業の現場にはニートの若者がジョブトレーニングとして来ています。他の人と一緒に活動することで社会性の訓練をし、就労した例もあります。また、障害者の方たちに古着を材料に工業用ウエスを作ってもらい、地域の工場等に販売しています。状態のいい古着はチャリティショップで再販していますが、ショップの運営には地域の女性たちが関わっています。

家の中に閉じこもっていた人たちが、私たちの活動の現場に関わることで一歩二歩と前に踏み出すようになった。そんな場面をいくつも見てきました。私たちの活動はそういう方たちに立ち上がる場所を提供していると感じます。

年間回収量260㌧。リサイクル率90%。日々続けられる古着との格闘.。古着事業は同時に地域の多様な人材の雇用や、ジョブトレーニングの場づくりの場としても機能している

 

Q. 活動を続ける中で直面している壁はありますか?

今一番の課題は財政的なベースの確保です。

震災前は、古着のリユース販売の収益で自分たちがやりたい社会貢献活動のベースをまかなえていました。組織としての仕組みもある程度できていたので、震災後も他の助成金に頼らなくてもやっていける助走期間がありました。ですが、被災者や避難者に向き合う震災後の事業は外からの支援を頂かないとこの先続けることができません。助成金や委託金である程度財源を確保できるうちは若いスタッフを雇用、育成することができました。しかしそうした財源は震災から7年半という時間の経過の中で小さくなっています。

オーガニックコットンの製品化については、いわきのような地方都市はマーケットが狭いので、国内で加工流通させようとすると値段が非常に高くなってしまう。それでは消費者とうまく接点が持てないというのが課題です。

たくさん問題があるのですが、仲間がいてくれるので相談しながら一つひとつ目の前の課題に立ち向かっています。

Q. これまでの活動の成果として誇れることは?

誇れるかどうかはわからないですけど、震災で地域の中にいろんな課題が見えてきたとき、私たちはその課題を一つひとつ拾い上げては、どうにかしたいという思いで一つひとつに愚直に向き合ってきたんですね。

今になってみると表面上はもう課題はなくなったように見える。震災なんてこの地域にあったかしら?という感じすらあるなかで、それでも残ってしまっている課題に目がいく、意識がいく―そういう感覚を私たちが持ち続けているということが、きちんとここで活動をしてきたことで得られたことじゃないか。そこは一つの成果ではあると思います。

Q. これまでの活動の成果として印象深い事例があれば教えてください。

原発避難者の人が毎月集まって農作業をする「みんなの畑」で一生懸命農作業をしていらっしゃるおじいさんがいます。

奥さんを避難生活中に亡くされて、公営住宅の鉄の扉の中で何もすることがなく一人で過ごされていた。でも畑の存在を知ってからは、毎月の作業日に限らずしょっちゅう畑を見にきてコットンや野菜の栽培を助けてくださっています。

避難所生活って誰かの世話になってばかりで、自分で何かしたり、誰かに感謝されることはなかなかない。農作業でみんなに頼られてすごく嬉しそうな様子を拝見していると、活動の一つの成果じゃないかなって思います。

それから震災前年に会社をリタイアし、山の上の限界集落のような場所で農業を始めた方がいます。近所の農家に一から教わり、農薬なども使う普通の慣行栽培をしていたのですが、震災後その地域で作っていた作物は消費者からそっぽを向かれてしまった。

ご近所の専業農家は先行きに大きな不安を抱え、震災の1年後に将来を悲観して自死してしまわれました。私たちが出会ったのは、その方がご遺族から予期せず広大な農地を預けられ、一人で農業を続けることに困難を抱えていた時期でした。

コットン栽培を始めることにしたその方は、オーガニックコットンの栽培を通して有機農業に意義を感じ、他の野菜もすべて有機栽培に変えています。それが魅力となって今ではその方のもとに年間800人ほどが農業を学びに来ています。今その地には助成金を活用して都市農村交流を促進するための建物がたち、ひとつのコミュニティが生まれていろんな交流が行われています。

これも最初はオーガニックコットンのタネ一つから生まれたこと。ひとつの成果じゃないかなと思っています。

老いも若きも優しい手触りのオーガニックコットン収穫を楽しむ

Q. 活動によって地域や社会に変化が生まれたと感じることはありますか?

古着のリサイクルでは、子育て中のお母さんを支援する「お下がりバザー」を毎年開催しています。市内外からお母さんたちがたくさんやってきて、「高くてなかなか買えない子供服を安く提供してくれてありがとう」とお礼を言って帰られる。地域のお母さんを応援する形はいろいろありますが、私たちなりの応援の形から「お下がりで子供を育てる文化」が生まれつつあるのではないかと思います。

それから学校で子供たちがオーガニックコットンを栽培する活動も行われています。コットンの栽培を通して着るものがどうやって生まれるのかという産業教育や、農薬を使わないという点からの環境教育、もともとのきっかけが震災だったことから震災教育につながるなど様々な学びを提供しています。この地域で育つ子供たちが、今まで当たり前だと思っていた社会のあり方に違う視点を持てるようになることも、小さくても一つのチェンジのきっかけになっているんじゃないでしょうか。

オーガニックコットンが広まることで、遠い目標かもしれませんが、私たちが目指している「社会のあり方を変える」ことにつながると思います。

Q. 吉田さんご自身が変わったと思われることはありますか?

かつてのザ・ピープルの代表はカリスマ的な力のある女性でした。私は彼女の下でいろんなことを学びました。のちに自分が代表についた時、私は人を束ねていける器の人間ではないと思っていたので、自分を慕って人が集まってくるなんてあり得ないと悩みました。でもそういう時期をくぐり抜け、今はたくさんの人に来てもらい、支えてもらって2つの組織がちゃんと回っている。

それは私の力ではないと思うんですが、でも、私がその当時のままの人間であったらそうはならなかったんじゃないかなと思う部分があります。なので、きっとなにがしか私はこの間の経験の中で変わってきたのではないかと思います。